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東京地方裁判所 昭和31年(ワ)1127号 判決

原告 広田治子 外一名

被告 京王帝都電鉄株式会社

主文

被告は、原告広田治子に対し金三十二万五千六百二円及びこれに対する昭和三十一年三月四日からその支払の済むまで年五分の割合による金員、原告広田修に対し金十万四千三百五十一円及びこれに対する同日からその支払の済むまで年五分の割合による金員の各支払をせよ。

原告両名のその余の請求を棄却する。

訴訟費用はこれを三分し、その二を原告両名の負担とし、その余を被告の負担とする。

この判決は原告らの勝訴部分に限り原告広田治子は金十万円、原告広田修は金三万円の担保を供してそれぞれ仮に執行することができる。

事  実〈省略〉

理由

一  広田侃左が昭和二十八年二月十九日午前零時三十分頃被告経営の京王線桜上水駅下りホームから過つて下り二番線軌道敷地上に転落しそこに横たわつていたとき運転手伊東正克の運転する加害電車が下り二番線を東方(新宿方面)から桜上水駅に進入し来り、伊東はその進入軌道上に黒い異物の存することを認めるや直ちに非常制動をかけたが及ばず、電車の最前部車輛のモーターエアータンクが侃左の身体に突き当り、侃左がこの衝突による傷害のためその后間もなく死亡したことは当事者間に争がない。

二  そこでまず、本件事故の発生について伊東に前方の警戒を怠つていたという過失があるかどうかについて判断する。

そして、この判断の前提として、伊東が侃左の手前いくばくの距離をおいて地点で侃左の姿を発見したかを考えて見るに、

(一)  伊東が加害電車を桜上水駅に停車せしむべく同駅停止標から東方約一五〇メートルの地点から常用制動をかけつつ電車を駅構内に進入させていたことは当事者間に争がなく、

(二)  成立に争のない甲第四号証の二、証人古内邦市の証言によつて成立を認めることのできる乙第五号証の一及び証人伊東正克の証言によると、伊東が前記非常制動をかけた際における加害電車の速度は毎時三十キロメートル位であつたことが認められ、

(三)  成立に争のない甲第四号証の三及び証人古内邦市の証言によつて成立を認めることのできる乙第九号証によると、加害電車の

(1)  常用制動時における制動筒全制動圧力は五七九八一キログラム

(2)  非常制動時における制動筒全制動圧力は七四五七六キログラム

(3)  列車全重量は七三・五トン

(4)  列車抵抗は六kg/t

(5)  時速約三十キロメートルにおける平均摩擦係数は〇・二〇三

(6)  非常制動操作后の空走時間は一・五秒

であることが認められ、

(四)  前記甲第四号証の二及び証人伊東正克の証言によると、本件事故当時加害電車には大体百二十人位の乗客が乗つていたことが認められ、このことと本件事故が真冬の深夜に発生したものであること(このことは当事者間に争がない。)及び我国成人男子の平均体重が大体五十二キログラム位であること(このことは公知の事実である。)とをあわせ考えると、加害電車乗客の全重量は約六・五トンにとどまるものと推定され、

右(一)ないし(四)の資料に基いて、加害電車が非常制動のかけられたときから停止するまでの間走行した距離(制動距離)を、別紙第一計算表記載の公式に従つて算出すると、その距離は約二二・三三メートルと推定される。

ところで、前記甲第四号証の二及び乙第五号証の一によると、加害電車は侃左の転倒していた地点から約二・七メートル西方(鳥山方面寄り)の地点で停車したことが認められるから、結局伊東が侃左の姿を発見して非常制動の処置を講じたのは侃左の手前約一九・六三メートルの地点であつたことになる。証人伊東正克の証言及び甲第四号証の二のうちこの結論に反する部分は信用し難く、ほかにこの結論を左右するに足る証拠はない。

さて、本件事故の当夜が月のない闇夜であつたこと、下りホーム上三箇所の位置(別紙(省略)図面の(A)(B)(C)の地点)にそれぞれ六十燭光の電灯が点灯されていたこと、下りホームの被告主張の位置にあつた三個の電灯が消燈されていたこと及び侃左が黒オーバーを着用して転倒していたことは当事者間に争がなく、更に又当時上りホームの被告主張の位置にあつた六個の電灯が消灯されていたことは証人古内邦市、大塚康治及び大田定夫の各証言により、又加害電車に備えつけられていた前照灯が三百十ワツト二百十ヴオルトのものでその照射距離が三十メートル位であつたことは、右古内の証言によつて成立を認めることのできる乙第五号証の二、前記甲第四号証の二、証人杉沢藤五郎及び大塚康治の各証言によつてそれぞれ明瞭である。(この照射距離に関する証人伊東正克の証言は信用できない。)そして、以上の状況の下で下り二番線軌道敷地上別紙図面の〈二〉点に黒オーバーを置き新宿方面から進行して来る電車の運転台の上で前方軌道敷地上に異物があるかどうかに注意を集中していると電車が〈二〉点の手前約三四・七五メートルの地点にさしかかつたところでこれを発見しうることは当裁判所の行つた検証の結果によつて明らかである。もちろん、電車運転手は駅構内に電車を進入させるに際しては単に前方軌道敷地上に異物がないかどうかに専ら注意を集中するのみでは足りず、構内信号機及びホーム上の状態にも注意を払う必要のあることは自明の理であり、このことと当事者間に争のない本件事故当時下り二番線軌道敷地上に人間大の油痕のあつたこと並びに証人太田定夫の証言及びこの証言によつて成立を認めることのできる乙第十号証の一、二によつて認めることのできる本件事故当時において加害電車の前照灯及び桜上水駅ホーム上の照明灯に供給されていた電圧は前記検証の際におけるそれよりも若干低かつたことをあわせ考えると、本件の場合電車の運転手が侃左の手前約三四・七五メートルの地点で侃左の姿を発見するのでなければその運転手に前方警戒義務違反の過失があるとは直ちに断定できないかも知れないけれども、少なくともその地点を過ぎてから一秒半以上も経過してこれを発見したということであればその運転手は前方の警戒を怠つていたと考えて妨げないであろう。

ところで、伊東正克が侃左の手前約一九・六三メートルの地点でその姿に気がついたことは前認定のとおりであるが、この距離は前記異物発見可能短離の三四・七五メートルよりも一五・一二メートル過小であり、そしてこの過小矩離は、伊東が侃左を発見する前一・五秒間に加害電車が先行した矩離の一四・〇三三メートル(この点については別紙第二計算表参照)をこえるものであるから、結局本件事故は伊東が加害電車の運転に際して進路前方の軌道敷地に異物がないかどうかに警戒を払うことを怠つたことによつて発生したものといわなければならない。

三  次に、加害電車が桜上水駅に進入する際に同駅舎には数名の駅員が勤務中であつたが、その到着ホームに出向いていた者が全然なかつたことは当事者間に争がなく、そして、もしこの駅員が到着ホームに赴いてホーム上及びホーム近辺の軌道敷地上に異常がないかどうかを看視していたならば、本件事故の発生がことの性質上未然に防止されえたはずであること及び軌道電車の発着駅に勤務する駅長にその駅員を指揮して、電車到着の際進入ホームに出向いてホーム上及びホーム近辺の軌道敷地上に異常がないかどうかを看視し、もつて事故の発生を未然に防止すべき注意義務のあることは原告ら主張のとおりである。

被告は、桜上水駅の駅員は被告の運転取扱心得により、一定時間以外にはホームに出向いて電車の到着看視をする義務を免除されていると主張するけれども、駅長の前記看視義務は電車発着駅の駅長たる者についてその職務に附随し当然に課されている注意義務にほかならず、その事業主体である被告においてこの看視義務を左右することのできるものではない。従つて被告がこの看視義務を免除したとしてもそれは駅長と被告との間の内部関係において効果を生じ、その結果被告は駅長に対して看視の懈怠による責任を内部的に追及することができなくなるにとどまり、事故発生に際し駅長について一般的に注意義務違反があるかどうかを判断する際に影響を及ぼしうるものではないというべきであり、被告の右主張はこれを是認することができない。

四  して見ると、本件事故は伊東の前方注視義務違反と桜上水駅の駅長の電車の到着看視義務違反との競合によつて発生したものであることが明瞭であるが、被告が軌道電車による旅客輸送の事業を営んでおり、伊東と桜上水駅の駅長とがこの事業のために被告に使用されているものであることは当事者間に争がないのであつて、本件事故は結局伊東及び右駅長が被告の事業の執行について惹起したものとするほかはないから、被告は使用主として本件事故によつて発生した損害を賠償する責任を免れることはできない。

五  よつて本件事故により生じた損害の額について見るに、侃左が大正十四年一月七日原告治子と広田義夫との間に生れた男子で、昭和二十二年京都大学工学部を卒業したのち、昭和二十五年国家公務員六級職試験に合格して昭和二十六年以来人事院事務官の職のあつたことは当事者間に争がなく、又成立に争のない甲第二、三号証及び原告治子本人尋問の結果によると侃左が本件事故当時七級二号俸を受けその手取額は半月分金五千五百六十七円であつて、侃左はその手取額のうち毎月金五千円を自己の生活費にあてていたことが認められるから、侃左は本件事故がなければ一箇月金六千百三十四円一箇年金七万三千六百八円の利益をうべかりしはずであつたと考えられる。そして侃左の健康に関して何らの反証のない本件では同人は普通健康体を有していたと推定すべきであつて、その推定余命は昭和二十九年七月厚生省作成の第九回生命表によると、三十二年をこえるものと考えられるから、六十歳に達するまですなわち昭和六十年一月六日まで人事院事務官の職にあつて少くとも前記の収入をあげることができたと予想される。よつて本件事故の翌月である昭和二十八年三月から、侃左が六十歳に達する前月である昭和五十九年十二月まで三十一年十月間に侃左のうべかりし利益の合計は金二百三十四万三千百八十八円に達するのであるが、このうち昭和三十二年六月二十八日の本件口頭弁論終結当時弁済期の到来していない昭和三十二年七月以后の収入から生ずべきうべかり利益金二百三万三百五十四円については不当利得の発生を避けるためホフマン式計算法によつて民法所定の年五分の割合による中間利息を控除すべきであり、そうすると侃左の得べかりし利益は金百五十六万五千二百七十三円となる。(公務員の俸給支給日は月の二十七日よりも前であるから昭和三十二年六月分以前の収入から生じた利益については不当利得の問題は生じない。)

六  次に、原告治子が侃左死亡のために葬式費用として金八万円及び墓地買入代金として金四千五百円の支出を余儀なくされたことは原告治子本人尋問の結果によつて明らかであるから、原告治子は侃左の死亡によつて金八万四千五百円の損失を受けたものというべきである。

七  更に、原告治子本人尋問の結果によると、侃左は真面目な性格の人間であつて両親や勤務先の上司からもその将来を嘱目されていた有為な青年であり、原告治子は侃左の死亡により痛く悲歎の情を味わつたことが認められる。

八  ところで、成立に争のない甲第四号証の一ないし五(但し三除く)、乙第五号証の二と原告治子本人尋問の結果とを綜合すると、侃左は本件事故当時泥酔して下り二番線、軌道敷地上に横たわつていたことが認められるから、本件事故の発生については侃左自身にも八分の過失があるというべきであり、この事情を考えると、本件事故による財産上の損害賠償の額は前記第五、六項の額の二割をもつて相当とする。よつて被告に対して、侃左は本件事故のため死亡しうべかりし利益を失つたことにより金三十一万三千五十四円の損害賠償請求権を、原告治子は葬式費用及び墓地買入代金を支出したことにより金一万六千九百円の損害賠償請求権をそれぞれ取得したものというべきである。

九  そうして、侃左が本件事故当時配偶者及び直系卑属を有していなかつたことは成立に争のない甲第一号証及び原告治子本人尋問の結果により明瞭であるから、侃左の死亡によつて侃左が取得した前記金三十一万三千五十四円の損害賠償請求権は、侃左の両親であることが当事者間に争のない原告治子の義夫とがそれぞれ二分の一ずつ相続したことになるが、更に義夫が昭和三十年二月死亡したこと及び当時原告治子が義夫の妻であり、且つ原告修が義夫の子であつたことは当事者間に争がなく、又甲第一号証によると義夫にはその死亡当時原告修以外には直系卑属のなかつたことが認められるから、義夫の死亡によつて義夫の取得していた右損害賠償請求権は、原告治子がその三分の一を、原告修がその三分の二をそれぞれ相続したものというべきであり、従つて右損害賠償請求権は現在原告治子に全体の三分の二が原告修に全体の三分の一が帰属していることになるのである。

そこで結局本件事故によつて生じた財産上の損害のうち、侃左のうべかりし利益を失つたことによる損害については原告治子において金二十万八千七百二円、原告修において金十万四千三百五十一円の損害賠償請求権を有しているものというべきである。

十  最后に原告治子が本件事故により侃左に先き立たれたことによつて被つた精神的苦痛に対する慰藉料の額は、前記第七、八項で認定した事実とその他の本件諸般の事情を斟酌して金十万円が相当であると認める。

十一  以上の次第で、原告らの本訴請求のうち、被告に対し原告治子において前記第八項末段記載の損害金一万六千九百円、同第九項記載の損害金二十万八千七百二円並びに同第十項記載の慰藉料金十万円合計金三十二万五千六百二円、原告修において前記第九項記載の損害金十万四千三百五十一円及び右各金員に対する訴状送達の翌日であることが記録上明白な昭和三十一年三月四日からその支払の済むまで民法所定の年五分の割合による遅延損害金の支払を求める部分は正当として認容し、その余は失当として棄却し、訴訟費用の負担につき民事訴訟法第九十二条本文、第九十三条第一項本文を仮執行の宣言につき同法第百九十六条をそれぞれ適用して主文のとおり判決する。

(裁判官 田中盈 山本卓 松本武)

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